神楽

岩手の神楽は何時頃から始まったのでしょうか

岩手県(旧南部藩)で神楽が文献や事物で見いだされるのは、南北朝時代頃(700年前)からですが、山伏修験が各地に寺社を設けたのは、平泉藤原氏が滅ぼされて鎌倉の御家人が各地に拠点を作り始めた頃(1189年平泉滅亡)からのようです。南部氏が山梨から知行地に降る際に芸能なども引き連れて来たと云う伝承は各地にあります。江戸時代に南部藩修験の惣禄となる自光坊も南部氏と深い関わり合いがありました。盛岡藩の御領分社堂と言う記録には、岩手山の噴火や様々な危機の時に自光坊が神楽で祈祷させた内容がたくさん残されています。江戸元禄時代には、霞争いなどが絶えなかった修験派閥が天台系本山派と真言系当山派に統制され、本山派と紛糾していた羽黒派が本山派の支配下になり、村落の霞分けが落ち着き、神楽も広がって行きました。

岩手県の神楽には、どんな種類があるのでしょうか

早池峰神社の岳神楽は、江戸前期に稗貫・紫波に伝承を広げ、江戸末期には上閉伊・和賀まで神楽組が広がりました。大償神社の大償流も江戸後期に稗貫・和賀・江刺へと伝承しました。

旧南部領三閉伊地区には、黒森神楽が江戸初期から巡行を行っており、黒森流の神楽組が各地にあります。

二戸・九戸・岩手郡(岩手県北)には、九戸地方を発祥とする神楽の影響が強い神楽組が広がっていますが、それぞれに特徴を備えており一流派というくくりにはなりません。

旧岩手郡(盛岡を含む)地域には、社風系(南部利敬藩主の意向で神道化した)の神楽があります。

遠野地区には、幾つかの修験系の神楽があり,それぞれに特徴を持って伝承されています。

旧仙台領の県内地区には、南部神楽と呼ぶ源平物語や奧浄瑠璃を題材にした演目を得意とする神楽がありますが、元々は江戸時代まで法印神楽(一定地域の修験だけで組織された)でした。

岩手県でも特異な神楽として北上・花巻地方の大乗神楽があります。法印神楽を元としながらも神仏習合で解釈された山伏修験の祈祷性の強い神楽で、大乗会という荘厳な儀礼を持っています。

 

地域別に観て行くと以上のような種類になりますが、それぞれ地域性が備わっており、一概にくくれません。