岩手県には、大別して太鼓踊系と幕踊系のシシオドリがあり、どちらも独り立ちのシシ(鹿)が複数で踊ります。

宮沢賢治が好んだのは長いササラを背に刺して太鼓を抱えて踊る太鼓踊系で流派として行山流(仰山)、金津流、春日流などに分けられ儀礼や演目的には同じですが、踊に幾分違いが有ります。基本は8人から9人で中立(リーダー)軸に踊ります。行山流でもっと古い江刺梁川の久田鹿踊は、慶長4年(1599)の伝授書が残されており、特徴としてササラが鳥羽で、坊子という踊り手が唐団扇などを持ち、笛の囃子が付いており、仙台の八幡宮に奉納する福岡鹿踊と類似しています。一方宮城県南三陸町の志津川水戸辺の行山流鹿踊は、ササラが紙で2メーターと長くなり躍動感のある踊りに改良され気仙地方・磐井地方・胆沢江刺地方を経て旧盛岡藩領の北上・花巻地方まで伝承されています。

 

幕踊系は二戸・九戸地方、岩手郡盛岡地方、三閉伊地方、遠野地方、紫波稗貫地方に伝承されます。太鼓を肩から提げて叩き独立した囃子方で、シシの踊り手は前に幕を張って踊るが、頭の設え髪の違いなど装束が地方によって異なります。演目や儀礼は、太鼓踊り系とほぼ同じですが、シシ以外の刀振りやササラスリなど踊り手が付く地域もあります。

 

 

シシオドリの表記は、鹿踊・獅子踊・獅子躍・鹿子踊・しし踊りなど様々ありますが、鹿の擬態で神仏に五穀豊穣・家内安全など祈願する民俗芸能です。産土の祭礼には神社に出向き奉納し、お盆には、寺で回向を捧げ墓前で供養し、どちらも参拝した後に集落を門打ちします。シシオドリノ相伝書には、陰陽道や仏教的な文言もあり、修験道の活動が活発化する中で影響を受けながら伝承されて来たと思われます。