岩手県には、数百を数える「神楽」と名が付く民俗芸能があり、それぞれ集落や組織名を冠して呼ばれています。

神楽の多くは、江戸時代まで修験山伏の支配や神社の付属として活動しており、職能的な組織で維持されてきました。そのため現在の様に民俗芸能的な役割と言うより、宗教活動の一環として取り扱われていました。従って山伏や社家などの采配で神楽衆は集団を作っていたのです。

又、活動の範囲も霞の範囲や氏子の範囲に限られており、黒森神楽のように沿岸を広範囲に廻村できる神楽は希でした。鵜鳥神楽は明治以降に黒森神楽と同じコースの廻村を始めています。

一方、早池峰信仰に依拠する岳神楽は、南部藩の庇護を受けており、稗貫郡、紫波郡、岩手郡を開村して多くの弟子・孫弟子神楽が各地に出来ています。昭和初年までは、岳神楽・大償神楽は稗貫地方を中心に廻村していました。

九戸・一戸地方の神楽は、八戸十和田方面までその影響を与えて伝承されて来ました。

南部神楽と言われる台詞まわしのある劇風神楽は、明治以降岩手県南から宮城県北に急速に広まり庶民の娯楽としても隆盛を極めてきました。南部神楽の母体として旧仙台藩の宮城県北から沿岸に広く伝承される法印神楽が考えられます。明治に入って法印と呼ばれる山伏の手を離れた神楽師達が、宗教活動にとらわれず庶民の娯楽に供する神楽を創始したと考えられます。

北上地方に伝承される大乗系の神楽は、藩境という特性を大きく受けて成立して行ったと考えられる修験色を色濃く残している神楽です。

岩手県は、旧盛岡藩と旧八戸藩、旧仙台藩の文化圏を包括した地域であり、神楽はその様相をはっきりと表しています。このコーナーでは、映像を通して見比べることが出来ます。